豊中駅前まちづくり会社

『豊中駅前まちづくりニュース』
7月中旬号-Vol.039 (2010/7/15 発行)  【シリーズ】豊中駅前の歴史を振り返る 16

   『商業近代化豊中地域計画』から その2

 このシリーズは、豊中駅前がどのように形成され、変遷を重ねてきたかを振り返り、 これからのまちづくりに活かしたいと考え企画しました。
 今号も引き続き、『商業近代化豊中地域計画』から豊中駅前を振り返ります。
――― 豊中市が「教育文化都市」といわれる理由について
【 商業近代化豊中地域計画 】質的に教育に対して関心度の高い階層によって構成される豊中のような近代的住宅地にはいきおい教育施設の整備された学校の存在が、人口吸引力として大きく作用したのである。当時の豊中市への来住理由として「学校教育が良い」「空気が良い」「静かで住み良い」「勤め先に近い」という環境吸引力がほとんどを占め、なかでも「学校教育が良い」が高い割合を示している。豊中が「教育文化都市」といわれる所以であり、学校の新設または他からの移転にともなって、その学校を中心として、周辺に新しく住宅地がのびて行き、市街地を形成した場合が少なくないのである。大正11年の府立豊中中学校(現豊中高校)の新設、同15年の大阪中津からの梅花女学校(現梅花学園)の移転など、それぞれ上野地区における住宅地化の先駆的役割を果たし、また昭和12年に桜塚の土地区画地に第14高等女学校(現桜塚高校)の新設されたのもこの好例といえよう。(「学校と住宅地の形成」より)
――― 豊中駅前の後背地の一つである団地の形成について
【 商業近代化豊中地域計画 】昭和30年、日本住宅公団が発足し豊中市においても住宅開発にあたるようになると、住宅地開発に伴った市街地の拡大に大きな変化がおこった。もちろん公団住宅も初期には規模も小さく、服部、曽根、千里園、久保団地のように既存市街地内の空地か隣接地を利用する傾向が強かった。ところが、旧市街地付近の地価が高騰して低廉な広い土地の獲得が不可能になると、旭丘、東豊中第1・第2団地のように旧市街地を飛び越えた遠隔地の山林、原野を買い上げ、宅地造成に着手する傾向が強くなった。さらに昭和36年造成面積350万坪の千里ニュータウンの建設が始まるや住宅地の千里山丘陵方面の進出に大きな刺激となり、豊中・吹田両市にまたがって広がる千里山丘陵の中央部は大きく変化した。(「戦後の住宅都市と市街地の飛躍的拡大」より)
――― 駅前の商業の発展について
【 商業近代化豊中地域計画 】
<戦前>
 電車を開通させた後、阪急電車は梅田に直営のマーケットを設け、沿線家庭との結合をはかり、さらにそれを昭和4年に百貨店に拡大化するに及んで、豊中の商業活動は広く大阪市のデパート商圏の支配化におかれるようになった。そしてこの阪急のターミナルデパートの出現は、私鉄資本による我国最初のものとして注目され、その経営方針が豊中の知識階級、富裕階層の需要にマッチし、多くの顧客を吸収して地元における商店街の発展を抑制する結果となった。(中略) しかし戦争はデパートの経営、機能を大きく変化させた。昭和18年デパートは物資供給部とかわり、20年ついに売場は軍需会社に転換され、その機能をほとんど失うに至った。この戦争による百貨店の機能の衰退に乗じ、戦後には各駅前通りに日用品を主とした小売商店街が発達した。 (ターミナルデパートと豊中市の商業)
<昭和40年代>
豊中地区の商店街は、阪急バスセンターをはじめ、大阪市営バスなどによる交通上の要衝化、東豊中方面等の団地・住宅を対象とした消費圏などが発達因子となって、戦後一大商店街へ発達したものである。この地の商店街は豊中高校通り、産業道路沿い、西改札口前に大別され、豊中高校通りは「豊中銀座」と呼ばれる如く、全体として大規模な市の中枢的商店街を形成し、北側に阪急豊中市場、東新開地商店街、南側に昭和43年に防災建築街区造成事業によって新しい型として、小売市場と量販店が合体した新開地市場が付随し、食料品、呉服、洋品雑貨、日用品店が高い比率を占め、マーケットを中心とした日用買物街の特色がみられた。・・・駅前広場及びバスターミナルの整備をかね、我が国でも珍しいダブルデッキ方式の人工広場が設けられているのが、著しい特色であった。 (戦後の駅前商店街の特色)

――― お借りしたこの文献により、まちの変遷と商業の移り変わりの相関関係が大変よく理解できました。お貸し頂いた知人には、心から御礼を申し上げます。読者の皆様にもまだまだ興味深い内容をお伝えしたいとの思いも多々ありますが。次回からは駅前にお住まいの方々にお話をお伺いしたいと思います。

『まちづくりニュース』Vol.039 PDFファイル
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7月号-Vol.038 (2010/7/1 発行)  【コラム】梅雨明け

『梅雨明け』

 毎年のことではあるが、箕面の山の新緑が増す頃には、“目には青葉 山ホトトギス 初ガツオ”という俳句を思い出す。今から300年も前の江戸時代に生きた山口素堂の作らしいが、“青葉”、“山ホトトギス”、“初ガツオ”と3つも季語が入っている珍しい句だと、今、俳句に凝っている友人に薀蓄を聞かされ、なるほどと思った。
 今なお、迷走を続ける今日の政治状況であるが、現政権に期待された幾つかの公約の中で外交問題がある。期待されたアジア外交には遠く及ばず、普天間の基地問題で沖縄・徳之島という現時点での「地元」、米国、連立を組む内閣の各政党、どこからどの順序で仁義を切るのかという挨拶の仕方が、ことの本質と違った形で論じられているようである。

 この欄で何度も取り上げている『挨拶』のこと。禅宗の修行僧が、その識見を探り合う行いをさす用語であった「挨拶」も大別すると、言葉による挨拶と身体を使っての挨拶、さらにはCMにもあるように中元・歳暮に代表されるような物を贈るという行為もこれにあたろう。身体を使うのは、手を挙げる、手を合わせる、お辞儀する、握手する、抱き合う、頬や額や唇を合わせるである。相手に敵意のないことを示す武器点検を許す握手・抱擁。手の位置が相手によって変わる合掌。イギリス・メキシコ・中南米では片方の頬、イタリア・スペイン・フランスでは両方にするという頬へのキッス。大切な頭を下げて相手に従順な態度を相手に見せるというお辞儀はその昔、西欧では一般的な挨拶であったらしい。今日では、お辞儀をする地域はアジアであり、ドイツ以外のヨーロッパでは珍しく、アメリカでも稀であり、儒教の影響の強い韓国でのお辞儀が相手によって多様であることは、事情を少しでも知る人には周知のことである。

 古くから日本食文化に密接な関わりを持つ鰹には、春の「登り」に、秋の「戻り(下り)」という生態があるという。詳しくは本「まちづくりニュース」の『魚屋の独り言』に任せたいが、町なかで、名前も知らない人にでも目のあった人には軽く会釈を交わすのは、これまでエチケットとしてなされてきたことであり、朝の散歩に千里川を上り・下りする際、「あいさつ運動」のノボリの下で目をそらす児童生徒ばかりの中で、恥かみながら挨拶をしてくれる中学生の女の子に“お家での躾”を感じてうれしい。
 最近、公園・道端での犬の糞の不始末が目立って悪くなってきている。そこで、犬に眼が行き、糞の始末が出来ず、行き交う人にも挨拶が出来ない人へのお伺い。他人が、何気なくやる頭を撫でようとするのは犬の頭の上が死角であってマナー違反で噛まれる、「犬への挨拶」で頭から行くのは危険というのは、確かですか?やはり、万事足元から始めることが躾のポイントなのでしょうか?
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