豊中駅前まちづくり会社

『豊中駅前まちづくりニュース』
3月号-Vol.030 (2010/3/1 発行) 【コラム】襟裳岬

『襟裳岬』

 春3月。大相撲・大阪場所。今場所、大いに活躍が期待される力士に蒼国来(そうこくらい)と隠岐の海(おきのうみ)がいる。二人とも豊中駅前には縁がある。豊中稲荷神社に稽古場を持つ荒汐部屋の内モンゴル出身の蒼国来、当まちづくり会社との関わりの深い隠岐の島町出身の隠岐の海。いずれも男前で好青年でもある。暗いムードの角界に爽やかな風を吹かせて欲しい。ついででは困るが、国にも自治体にも今年は清々しい風が吹くようにしたいものである。目をくらませるばかりのあの花も葉もない今こそ、季節が一巡し、その枝振り・基本的姿勢が、うかがえる時である。漫然としておれない。
 ♪北の街では、もう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい。理由のわからないことで 悩んでいるうち、老いぼれてしまうから、黙りとおした歳月をひろい集めて暖めあおう 襟裳の春は、何もない春です。♪
 3月。学園から職場から、新人の採用とともに卒業の時を迎える時である。自分の実力を2割増しで評価しなくても、不合理な仕打ちで会社人生を送ったと考えている定年間近のサラリーマン諸君。これからの楽しい人生を知っていますか?あなたを待っている仲間がいます。楽しい地域活動が待っています。そして、もっと勉強すれば良かった、もっと良い論文・レポートを書いておけば良かったと悔いる学生・生徒諸君。不完全な論文を埋める機会が、これからの人生です。学生・生徒で書ききれなかった、詰め切れなかった考え方を社会人として地域社会で行動を起こして下さい。実践して下さい。待っていますよ。
 3月。寒空の闇の中に火の粉を撒き散らしながら燃え上がる大きな松明。荒僧の駆け走る音。響きわたる真言。秘儀の中行われる若水汲み。若狭国の地面から白い鳥と黒い鳥が飛び立ち、その後から湧き出した霊泉の水が地中の水路を通って、東大寺の井戸に再び湧き出すとされている。
脈々と続く水脈同様、期待を込めて、“仕事”は、もう後輩達に任せて、心おきなく卒業し、折角の人生、自分のために生きてみましょう。また、“暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう!” 3箇月に一度のアイボリー寄席、新免館寄席の落語会。毎月のアイボリーフォーラムに出かける機会が更に増えます。若者と気兼ねなく呑める機会が増えました。少々の小遣いと、時には、あなたの自己変革次第です。

 ♪日々の暮らしは、いやでもやってくるけど、静かに笑ってしまおう。いじけることだけが、生きることだと飼いならされすぎたので身構えながら話すなんて、ああおくびょうなんだよね。襟裳の春は、何もない春です。寒い友だちが訪ねてきたよ。遠慮はいらないから暖まってゆきなよ。♪
 これから、そんな社会を一緒に築いていきませんか? おめでとうございます。
 
『まちづくりニュース』Vol.030 PDFファイル
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2月中旬号-Vol.029 (2010/2/15 発行) 【コラム】豊中駅前の歴史を振り返る 11

『シリーズ・豊中駅前の歴史を振り返る』 第11回

   「新免について」

 このシリーズは、豊中駅前がどのように形成され、変遷を重ねてきたかを振り返り、 これからのまちづくりに活かしたいと考え企画しました
 今回は、「とんぺい」さんから千里川までの変遷を土橋さんにお伺いしました。
――― ホテルアイボリーの横に「新免」館がありますね。また、お祭りの時なんかには「新免」の太鼓が宮入すると年配の方から聞いたりしますが、新免とは、どのあたりの<こと>をいうのですか?
【 土橋 】先ず、「新免」という地名の起源は「日本地名辞典・大阪府」(角川書店)や「日本の歴史地名体系」(平凡社)などによると、室町期から戦国期に見える地名・村名と考えられます。またその範囲は、「豊中台地のほぼ北西端、千里川が桜井谷を抜け出た所の南岸低地から台地にかけての村域である。新免村は、桜井谷の内田村、柴原村、南刀根山村の南にあたり、西は箕輪村、南は当村枝郷轟木村に隣接する地域である」とあります。現在の地名で言いますと、本町1~9丁目、上野西1~2丁目、岡上の町1~4丁目、玉井町1~4丁目の辺りになります。
――― 土橋さんは大変熱心に「新免村」について調べられ、目下「新免村をもっと理解するために」という冊子を作成中と聞いていますが、どの様な思いから始められたのですか?
【 土橋 】新免村の長老の方々が段々に他界され、村に纏わる話も徐々に薄れて行くことへの危機感ですね。このままだと若い世代に引き継がれないと思い、今のうちに話を聞き、書き溜め冊子にまとめようと思い立ちました。新免村の出身者はもとより、他所から移り住んで来られた方にも、自分たちのまちの歴史の一端を知っていただくことで、何かの役に立ちはしないかと思っています。
――― 作成中の目次を見ても大変多岐に渡り項目が並んでしますね。新免村の起源、千里川など水との戦いの歴史、能勢街道など街道について、保護樹林、寺社、高校野球発祥の地など・・・その中に「遺跡」がありますね。
【 土橋 】実は私の実家をマンションに建替える工事の際に、須恵器の破片がたくさん出ました。文献によると、「地区内には弥生中期(紀元前1世紀)~後期の遺跡や古墳前期(3~4世紀)の新免上佃古墳、古墳後期の新免宮山古墳群がある。又、白鳳期の創立と伝えられる新免廃寺や天平期(729~749年)に行基の開創と伝えられる金寺の跡がある。村内には「本町遺跡」と「新免遺跡」がある」とあります。私の家はその「本町遺跡」の一つです。 「本町遺跡」については、「阪急電車の豊中駅から箕面に向かう道路沿いにあり、千里川の東側の小高い丘の上の広がる遺跡で、今から1800年前(弥生時代後期)に始まり、1400年前(古墳時代後期)には、大きな村として栄えていた。この地域では、弥生時代から鎌倉時代までの遺跡・遺物が見つかっている。特に須恵器の不良品や大型の堀立建物の跡が発見されたことから、この遺跡の北方にある桜井谷村窯跡群との関係から、桜井谷の多くの窯で作られた製品が、水運や陸運によりここに集められ、各地へ運ばれていったと推察される」とあります。どうも私の家はその頃は窯に従事する人の住居だったらしく、窯は今のパチンコ屋さんのある辺りにあったらしいです。マンション開発が盛んになるに従って遺跡の発掘調査が頻繁に行われています。
――― 大変興味あるお話です。これだけ良く調べられるには大変な苦労があったと思いますが、これから冊子を纏められるにあたって、今どんなことが気になっていますか。
【 土橋 】本町3丁目にはお寺が3つもあります。看景寺、光源寺、法雲寺いづれも浄土真宗ですが、どうして左程広くもない地域にお寺が3つもあるのか、それが疑問です。それと、ホテルアイボリーが建つ前の山西邸の門の写真を探しています。陣屋門というのですが、それは立派な門でした。お屋敷も素晴らしいもので、子供の頃は中で遊ばしてもらったものです。私の思い出もありますが、昔にはこんなお屋敷があったことを後世に伝えたいとの思いがあります。でもいつまでに冊子として纏められるかは判りませんよ。もう若くもなく体力にも自信がありませんし、、、。只これがきっかけでもっと詳しい情報が集まるための中間報告みたいなものとして作りましょうかね
―――  このシリーズを読まれた方の中で、土橋さんの疑問や写真について知らせて下さる方がおられたら良いですね。
今日は、有り難うございました。冊子が出来上がるのを楽しみにしています。
『まちづくりニュース』Vol.029 PDFファイル
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『まちづくりニュース』

巻頭コラム

豊中駅前の歴史を振り返る

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